富士水碑
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公開日 2023年10月01日
富士水碑
甲西道路(甲西バイパス)の整備工事が完了したことから、
移転していた「富士水碑」が元の場所に設置されました。
◆場所:山梨県南巨摩郡富士川町 明神町地内
(富士川町役場分庁舎より静岡県方面に約800m南下・甲西道路沿い)
周辺地図
写真
( 2007/6/1 撮影 )
富士水碑の案内(要旨)
京の豪商・角倉了以の富士川開削の功を称え、
これによって甲信駿の人々が大いに便益を得たことを顕彰し、
通船から190年経った寛政9年(1797年)12月にこの碑を建てた。
碑の撰文は市川代官所役人・黒川好祖、書は武蔵の人・藤原知赫、刻は神慶雲による。
碑文は富士川が笛吹・釜無・荒川の三川よりなることに始まり、
その開削が至難であったこと、その便益は計り知れないものがあることや、
角倉家の家系、了以の人となりをあげている。
要旨的には、
富士川は急流で小さな丸木船でも通れなかったのを、
信州・甲州の住民に荷物運搬の苦労が多いことを思い、
徳川家康が京都の角倉了以に命じ、頭脳と機械を駆使して完成した。
このため下りに1日、上りは3~4日で通行できるようになった。
開通後間もなく洪水のために水路が塞がったので、
了以の息子・玄之(つねのぶ)が復旧した。
角倉了以は、鴨川、大井川、天竜川の改修工事も行った人で、
この偉業と受けた恵みに感謝し、子々孫々に伝えるように鰍沢の船着場に碑を建てた。
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