民俗資料館(太鼓堂)
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公開日 2023年10月01日
更新日 2024年09月05日
臨時休館のお知らせ
当館は、道の駅富士川において「𣇃米学校(太鼓堂展)」の開催にあたり、次のとおり休館いたします。
令和6年9月14日(土)・15日(日)
ご迷惑おかけしますが、何卒ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。
沿革
民俗資料館(太鼓堂)は、時の山梨県令藤村紫郎が奨励した西洋風建物で藤村式建築と呼ばれ、明治9年9月24日に𣇃米地区に𣇃米学校として落成しました。この校舎はバルコニーや二段手すり、最上階には六角形をした太鼓堂をもった当時としてはたいへんモダンな建物でした。明治21年には、現在の増穂小学校体育館の位置に移築され、増穂尋常小学校の本館として活用され、西側と東側に新しく2棟の新校舎を配置、同年5月1日に両袖のある校舎が落成しました。
大正10年に、新しい校舎の建築によりこれまであった両袖の校舎は撤去され、増穂村役場、後に増穂町役場として昭和41年12月17日まで使用されました。
昭和49年10月に改築され、増穂町民俗資料館となり、昭和50年3月17日付けで、山梨県指定文化財とされました。平成22年、合併により名称を富士川町民俗資料館と改め、現在まで活用されてきています。
展示案内
富士川町民俗資料館では、𣇃米学校で使用されていた椅子や机、明治からの学校関連資料が数多く展示されています。そのほか、増穂村尋常高等小学校に通い、町にゆかりのある石橋湛山氏の略歴等をまとめたパネルが展示されており、石橋湛山氏の功績や幼少期の富士川町でのエピソード等が紹介されていますので、是非お立ち寄りください。
〇青い目の人形(2階展示室)
昭和2年、反日感情の高まりを憂いたアメリカのギューリック牧師は、全米の子どもたちに呼びかけ、友好の証としての「友情の人形」である「青い目の人形」を、全国の小学校などへ届けました。その返礼として、日本の子どもたちも日本人形をアメリカの各州に贈りました。「青い目の人形」は、民間レベルで行われた国際交流のシンボルといえます。
しかし、太平洋戦争中には、敵国の人形として敵性視され、焼かれたり、壊されたりして処分されてしまったものが数多くありました。
名前:ヘルン・モナー▲
当時増穂町小室学校の職員室に飾られていました。
アクセス
所在地
山梨県南巨摩郡富士川町最勝寺320番地
開館時間
日曜日、水曜日、第二土曜日
午前9時~午後4時